インタビュー


国境を超えて移動する人へ
渡航医学の専門家が伝える予防の重要性

海外は日本とは生活環境や医療事情が異なります。仕事で海外へ渡れば、日本ではかからないような病気にかかることもあるかもしれません。現地で日本と変わりなく仕事や生活を続けるためには、どのような備えが必要なのでしょうか。
東京ビジネスクリニックを訪ね、渡航医学に詳しい金川修造先生にお話を伺ってきました。

■国を超えて旅することで起こる病気を扱う、渡航医学

― 先生のプロフィールを教えてください。

小児科専門医取得後開発途上国で政府が行う国際医療協力の仕事に10数年携わり、海外から帰国後の2004年に国立国際医療研究センターにトラベルクリニックを立ち上げ、2018年まで医長として活動していきました。
2000年頃は、国内には旅行者を総合的に診られる医療機関が多くありませんでした。そこで、トラベルクリニック先進国であるイギリスに渡り、ロンドン大学で病院の運営や渡航医学について学びました。帰国後、日本ではどのような形がよいのかを検討し、トラベルクリニックをスタートしたのが2004年です。最初は医師一人、二人でスタートしましたが、今では国立国際医療研究センターの感染症センターの一部門として、外国人診療、感染症診療、海外渡航渡航前後の健康管理と多岐にわたる活動を行うトラベルクリニックに大きく発展してきました。最近では、国内のトラベルクリニックの数も増え、人材育成活動も国立国際医療研究センターの重要な活動となってきています。
東京ビジネスクリニックへ来たのは、院長の内藤先生がトラベルクリニックを強化したいと考えておられるのを知ったからです。ここではトラベル領域の強化をサポートしながら、一般的な診療も行なっています。

― トラベルクリニックについて、もう少し詳しく教えていただけますか?

今、トラベルクリニックというと、海外へ行く前に予防接種を打つところという雰囲気が強いのですが、開設した当初のコンセプトは、帰国者やインバウンドも含めて、国境を超えて移動する人たちを診療する総合診療科でした。国際移動に伴う医療相談にはどんなものでも応えますよ、まずは帰国して不調がある人はここで診た上で、外傷だったら外科、婦人科だったら婦人科というふうに適切な診療科に割り振りますから、何でも相談してくださいというような役割です。
帰国してきて最も問題になるのが感染症ですが、当時はマラリアやデング熱にかかった患者様を専門的に診療できる医療機関が少なかったんですね。そこで、医療センターでは、帰国者の診療や外国人の診療にも早くから取り組んできました。

漫画で『ONE PIECE』って、ありますね。あの中にトラベルメディスン、渡航医学が出てくるのを知っていますか?

― トラベルメディスンですか?

船の中にオレンジが積まれていますよね。あれはなぜだと思いますか?

―何か、治療の役に立つということですよね?

大航海時代は船上でビタミンCが欠乏し、壊血病になることがありました。そのためにオレンジ、柑橘類が必要だったんです。
ほかにも、ナポレオンやヒットラーのロシア遠征の敗因の一つは、兵士の栄養が悪くなり、生活環境も良くなくて病気になったために、軍隊の士気が上らなくなったことだといわれています。それから、第一次世界大戦の時のスペイン風邪。あれは船内に感染者がいて、乗っていた全員が感染して、船が着いたところで感染を広げたためにパンデミックとなって世界中を駆け巡ったんですね。戦争で死んだ人よりもスペイン風邪で死んだ人の方が多いと報告されています。
このように、国から国へ移動すると、普段はかからないような病気や感染症にかかるリスクがあるわけです。その予防から治療まですべてに対応するのがトラベルメディスン、渡航医学なんです。

■防げる病気にかからないようにするために使うワクチン

― トラベルワクチンはなぜ必要なのでしょうか。

海外渡航前に基本的にはワクチンで予防できる病気に対してはワクチン接種を積極的に考えましょうということがまず第一で、定期予防接種に含まれている麻疹や風疹、破傷風、日本脳炎などのワクチンも十分な免疫がないのであればトラベルワクチンとして海外渡航前に接種すべきと考えています。
また、日本にいる時はあまり考えなくてもいいけれど、海外へ行くにあたっては予防しなければならない病気があります。そのためにトラベルワクチンが必要ではありませんか?ということです。たとえば、腸チフスなんかは多くの開発途上国では普通の病気です。

―予防できる病気は予防してから渡航しましょう、ということですね。

ワクチンではありませんが、マラリアは予防薬で予防できる病気です。予防できて治療もできる病気なのに、マラリアにかかって死ぬ人がいっぱいいるっていうのは、予防を疎かにしているからです。
マラリアにかかって重症になれば、ICU(集中治療室)で治療を1ヶ月とか、そんなことになるわけです。予防薬を飲んでいれば、かからないで済むあるいは非常に軽くて済むわけですから、もうちょっと予防っていうことも考えた方がいいですよね。

― 海外で病気にかかってしまうと、大変ですね。

海外で病気にかかってしまうと医療制度が異なることや、言葉の違いで病状の説明が分からないなど医療に関する問題や、家庭や仕事への影響など社会的な問題も生じてしまうことになるわけですから、ワクチンなどで防げる病気は防いでいった方がいいですよね。

― 渡航前にまず、やっておいた方がいいことはありますか?

自分は何を予防できているかを確認することです。
患者さんにいつも言っているのは、母子手帳か、接種記録はちゃんと持ってきてほしいということです。自分の仕事が継続的にできるかっていうことのリスク管理ですから、かからないで済む病気にはかからないほうがいいと思いますね。その意味で、トラベルワクチンではありませんが、麻疹・風疹・おたふく・水疱瘡も渡航先でかかるリスクがあれば、カバーしておいた方がいいでしょう。
麻疹は、昔は1回でしたけど、今は免疫が落ちている可能性があるので、子どもの時に1回打っていても、最低2回は打ちましょうということになっています。風疹もキャッチアップが問題になっていて、現在40歳前後の男性に第5期定期接種のクーポンが配られていますね。

■トラベルワクチンはリスクに応じた予防策のひとつ

― 必要そうなワクチンは全部打っておけば安心と考えていいのでしょうか。

とりあえず全部打ちたいっていう希望にはもちろん応えますけども、母子手帳や接種記録を見ると、今回は打たなくてもいいという判断も結構できます。
ワクチンをなぜ打つかというと予防のためです。感染症にかかるリスクを評価して、リスクが高くワクチンがあるものは接種していきましょうということなんですね。トラベルワクチンを打つだけでは十分でないこともあります。たとえば、デング熱に対してはワクチンはありませんので完全に無防備になっていることもあります。デング熱にかかる可能性がある地域で活動するのであれば、虫除けも必要ですよね。

― とりあえず、会社に言われたワクチンだけ打っておけばいいというものではないわけですね。

今、中国に行くっていうと、一律に狂犬病ワクチンを接種しなさいと言われますが、中国の広さを考えると、都会と田舎ではかなりリスクの差があると思うんですね。もともと中国の人だって、全員は接種していません。現地では噛まれてから接種するということを知っているので、リスクの高くない人は前もって接種する人はいないんですね。ところが、なぜか中国への渡航者は会社から全員接種するように言われていることが多いんです。受診される方も感染のリスクがあるからではなく、「会社が打てというから打ちます」とおっしゃるんですね。
でも、たとえば、会社から「この薬を飲んでおけ」って言われたら、何も聞かずに飲みますか?「それ、何の薬ですか?」って聞きませんか?

― 確かに。聞きますね。

どういう活動をすると、どんなリスクがあるかは考えた方がいいですよね。

ご家族のことも考えてみると、5歳以下の子どもの場合、狂犬病ワクチンを打つと1割は当日か翌日ぐらいに38度の熱が出ることが報告されています。感染のリスクが低い場合でも、それだけの負担をする必要があるのかどうか。
A型肝炎もそうです。子どもはあんまり発症しないのでリスクが低いですね。ご相談があれば「外食することがほとんどないんだったら、2〜3歳になるまでは打たなくてもいいんじゃないでしょうか。でも、小学生くらいになると発症のリスクが高くなるから接種しておきましょう。乳幼児でも、もしもかかってしまった場合におじいちゃん、おばあちゃんにうつす可能性が高いなら、ワクチンを打つことを考えてもいいですね」といったお話をすると思います。リスクに応じた予防策が必要です。

― 自分の場合のリスクを評価するのは難しそうです。そういうことが相談できるクリニックはあるのでしょうか。

渡航前のワクチン接種を行っている全ての医療機関でそこまでして詳しく相談することは難しいかもしれません。トラベルクリニックのなかでも、海外から帰国した患者さんも診ている医療機関や、トラベルクリニックをかかげたホームページを展開しているような医療機関であればできると思います。充分なリスクを評価するのは時間もかかります。
ただ、予防から治療まで一体化して考えるのがトラベルクリニックだと思っていますから、トラベルクリニックにはワクチンを打つだけでなく、そういうリスク評価もしてあげてほしいと思いますね。

■一人一人が予防を考えていくことも大事

― 腸チフスなど、トラベルワクチンのなかには、国が承認していない輸入ワクチンもあります。これについてはどう考えたらよいでしょうか。

輸入ワクチンは安全ではないと考える人は多いですが、世界のシェアから見れば、大半は輸入ワクチンで、国産ワクチンは世界的に見ると非常に良い小さなシェアです。W H Oが認証しているワクチンの安全性や効果は海外の研究で確認されています。効果や安全性に関して輸入ワクチンと国産ワクチンに差はないと考えています。一点、日本で承認されていない輸入ワクチンの場合、副反応が起こった場合に、国の保障制度が使えないというところは違いますが、それだけです。
もう一ついえば、海外のワクチンは発売後の調査が丁寧なんです。ワクチンを接種して何年か経った時にどれだけ抗体を維持できているか、複数回接種が必要な場合、メーカーの異なるワクチンを使っても効果があるのかどうかについて、メーカーがチェックして報告しています。
たとえば、狂犬病のワクチンは海外ではメーカーがデータをとって互換性を確認してくれていますが、日本では互換性に関する大規模なデータがありません。そういうアフターケアは海外のワクチンの方が丁寧だという印象があります。

― 国産なら安全、海外品は要注意というイメージがありました。

日本のワクチン行政では国家検定によって品質管理にすごく気を遣っています。先日、出荷後のヒブワクチンで針の一部にサビが見つかったという問題がありましたが、日本製造のワクチンでは、そんなトラブルは少ないでしょう。ただ、国際機関で承認されたワクチンであれば基本的に安全性や効果に問題はないと考えていますが、海外から輸入する経路での品質管理いわゆるコールドチェーンの管理などには注意を配る必要があります。

― 最後に海外渡航者の方へのアドバイスをお願いします。

自分で予防を考えることの重要性は、生活習慣病を考えてもらうと分かると思います。生活習慣病の予防というのは普段の努力なんですよね。感染症やちょっとした怪我ではすぐに死ぬってことはあまりなくて、治療がうまくいかなくて亡くなることがあったとしても、時間が少しあります。ところが、(生活習慣病で引き起こされる)脳卒中と心筋梗塞はその場で亡くなるリスクが高くなります。生活習慣病は普段の生活をコントロールする努力を一生続けなければいけないので、感染症に比べたら、よっぽど予防が難しいんです。
一方で、感染症はかなり予防できます。なかでも、ワクチンは最も効果的な予防方法です。1回または数回の予防接種をすれば防げるわけですから。もし、心筋梗塞を予防できる薬があって、これを1回飲むだけでいいって言われたら、どうですか。そうやって考えてもらったら、どれだけワクチンは有効な予防方法かということです。
病気になってからどうするかではなく、病気にならないようにどうするかを考えた方が効率はいいですよね。防げる病気はしっかり防いでいきましょう。

お話を伺った先生

東京ビジネスクリニック/国立国際医療研究センター病院 国際感染症センター トラベルクリニック
金川 修造 氏

山形大学医学部卒業。小児科としてキャリアをスタート。国際医療支援に従事した後、2003年に開設された国立国際医療研究センタートラベルクリニックの立ち上げに関わり、医長として長く海外渡航者の診療にあたった後、現在東京ビジネスクリニックに勤務。日本渡航医学会評議員。小児科専門医。日本検疫衛生協会理事。

専門分野
渡航医学/総合診療/小児科
資格
小児科専門医、日本渡航医学会専門医療、国際旅行医学会認定医

東京ビジネスクリニックホームページ https://www.tokyotravelclinic.com/